学生時代のライブ撮影、視聴覚論での“音”の学び、コロナ禍での挫折、工場勤務──。
それでも続ける中で見えてきた世界があった。
今では、PIVOTの広告番組やオリジナル番組をひとりで任されるプロデューサー/ディレクターとして活躍している。
久我が語る「映像を続ける理由」と「pumpだからこそ見えた未来」を紹介します。
映像との出会いは”音”の中だった
Q)大学時代に、映像制作へ興味を持ったきっかけを教えてください。
久我: 軽音サークルでライブ撮影隊として撮影やPV制作をやっていましたが、当時は映像に強い興味があったわけではありませんでした。
「映像は大変なもの」「好きな人がやるものだ」と思っていたので、自分がそこに深くのめり込んでいた実感は正直ありません。
ライブ撮影をやることになったのも「なんで自分がこれをやるんだろう」という感覚で、どちらかというと義務感に近かったと思います。
ただ、過去に撮られたライブ映像で、自分のギターソロの場面が別の人を写していたことがあって、それがすごく悔しかった。
「努力が映像に残らないと報われない」「自分が納得のいくものを撮りたい」と強く感じたのが、映像に対して主体的になった最初のきっかけでした。
Q)ライブ撮影隊での経験は、今の仕事につながっていますか?
久我: モニターだけを見るのではなく、現場全体を捉える意識は、この頃に自然と身についていました。現在担当しているPIVOTのオリジナル番組をつくるときも、同じ感覚を常に意識しています。
映像より“音”を学んだ学生時代
Q)学生時代はどんなことを学ばれていましたか?
久我: 大学では視聴覚論を学び、音が映像に与える意味を徹底的に分析しました。
『シャイニング』を題材にしたレポートでは、洋館の外の吹雪や人物の足音などがショットのサイズによってボリュームが調整されていることに着目し、無意識のうちに音がどう映像に影響を与えているかを細かく研究しました。
また「音はインの音・アウトの音・フレーム外の音の3つに分類できる」という視聴覚論の視点は、今でも編集・録音を考える時に活かしています。
工場勤務とイノフェスが教えてくれた“現場力”
Q)pump入社前はどんな仕事をしていたのでしょうか?
久我: 実は映像とは関係ない工場勤務をしていました。
メーカー勤務だった父親の影響で、もともとものづくりに興味があったのと、大学4年の時、休学して挑んだイノフェス(Innovation World Festa)で筑波大学の研究紹介ブースを担当したのですが、挑戦としての「安請け合い」でした。本当にできるのかはわからないけれど、「自分がやります」とあえて手を挙げ、全力で取り組もうと決めたんです。
しかし、ブースデザインをお願いした教授から、自分が持ち寄った企画と図面を見て「できることとしたいことの区別がついていない」「現場条件を詰めなければ何も進まない」と厳しく指導され、ものづくりにおいて“現場力”の重要性を痛感しました。
イベントが終わって就活を再開しようとした矢先、コロナが直撃し、オンライン面接もうまくいかず、ことごとく落ちていきました。
その中で縁があり、技術者派遣の会社へ入社。島根の工場でライン工として半年ほど働きましたが、過労で手に違和感が出て、「好きなギターが弾けなくなるまでやるべき仕事なのか」と思い、休職を経て退職しました。
“大学の先輩”に救われた
Q)どのような経緯でpumpを知り、入社したのですか?
久我: 軽音サークルの先輩で、今はpumpの同僚でもある小笠原さんから声をかけてもらったのがきっかけです。
学生時代、同じライブ撮影隊でカッコいい映像をつくっている先輩として憧れていたので、休職中で困っていた時に「制作アシスタントとして来ない?」と声をかけてもらえたのは本当に嬉しかったです。
Q)ここにも軽音サークルの話が繋がってくるのですね。入社前の想像と、実際に働いてみてのギャップはありましたか?
久我: 前述の通り、映像制作は大変な仕事だろうと覚悟していましたが、実際は想像以上でした。
MV撮影では朝3時集合、翌朝5時帰社なんてこともありましたし、冬の茨城ロケは体の芯から凍えるような寒さでした。
ただ、そこで感じたのは“みんなでつくる映像の美しさ”です。
自分が必死で探したロケ地が採用され、プロのカメラマンが美しく撮り、編集で仕上がり、その瞬間に立ち会えたとき、映像づくりのすごさと感動を強く味わいました。
Q)苦労した分得られる感動は大きいですよね。pumpの制作スタイルで印象的なことはありますか?
久我: 少人数だからこそ、お互いの考えや得意分野が自然と噛み合います。
一人ひとりの裁量が大きく、それがそのまま相手への信頼にもつながっている。その心地よい関係性は、pumpの強みだと感じています。
「広告の緻密さ」と「オリジナルのライブ感」を両立する現在の役割
Q)現在はどのような役割を担当しているのでしょうか?
久我: 入社後は小笠原さんのアシスタント、その後は小船さんのPIVOT案件のアシスタントを務め、現在はPIVOT案件をひとりで担当しています。
広告案件では、企業が持つメソッドを学ぶ番組『& SKILL SET』のプロデューサーを務めています。一方、オリジナル番組では『健康新常識』などの現場ディレクションと編集を担当し、面白さやリアルタイムの会話の成立、みんなが知りたいと思えるかどうかを重視して制作しています。
Q)なるほど。それぞれの案件で、制作で意識することも違うのでしょうか。
久我: はい。広告案件では、PIVOTの先にいるクライアントを不安にさせないよう、こまめな連絡・丁寧さを徹底しています。進行状況によって対応が毎回変わるため、スピード感と柔軟性が重要です。
対してオリジナル番組では、会話がリアルタイムに展開するため、自分で情報が成立しているかを瞬時に判断し、必要なカンペを出したり、話の流れを整えたりして“コンテンツとしての面白さ”を最大化することを重視しています。
でも、それだけ気を張っていても、自分の力だけではどうにもならない場面もあります。そんな時にプロのMCが自分の想定を超えて話を広げてくれる瞬間には、毎回驚きと学びがあります。
ちなみに、PIVOTが続いた時期には、pumpのオフィスに戻ってエレベーターで“PIVOTの階数を押しそうになった”くらい、体に染みついていました(笑)。
Q)頭をフル回転しながら現場に挑んでいる感じですね…。これまでの現場で、印象的な出来事はありますか?
久我:仕事内容そのものではないのですが、1年目のある現場でスタンドイン(本番の出演者の代役として、照明・カメラのテストや立ち位置確認などを行う役割)として参加したときのことです。
前日の疲れが残っていたせいで態度に出てしまい、お客様にも見えるモニター越しにあくびをしてしまいました。
その現場が終わった直後、先輩同僚の中村七瀬さんに呼び止められました。
「全員の士気が下がるようなことはするな。」
強い口調で注意されました。さらに中村さんの知人である照明部の方も、私の様子を見て心配してくださっていたそうです。
「今回は知っている照明部の方だからよかったけど、これが初めて一緒に仕事をする人たちだったらどうするつもりだった?」
その言葉にはっとしました。
監督やスタッフ、ディレクター全員が、最高の映像をつくるために現場に立っています。 そこに自分の不満やコンディションを持ち込んではいけない──。
この経験は、その後主担当を任せていただくPIVOTの現場でも、常に自分を律する基準となっています。
「音」「編集」「現場」。細部へのこだわりは学生時代から続いている
Q)音にこだわりのある久我さんが、映像づくりでこだわっているポイントを教えてください。
久我: 撮影では、ピンマイクだけでなく環境音も必ず録るようにしています。編集では音合わせ、カットのタイミング、フェードの丁寧さにこだわります。音楽を選ぶ時も、映像のトーンや編集のしやすさを強く意識しています。
現場では録音部と密に連携し、言いづらそうな状況でも遠慮なく意見を言えるような空気をつくることを大切にしています。
これらすべてが、学生時代に学んだ視聴覚論や音の意味づけの学びと自然につながっています。
Q)pumpのメンバーとして働く中で、自身が成長を実感している点はありますか?
久我: まず、入社初期のMV、次に広告、そして番組と、ジャンルを越えて経験できているのはpumpならではだと思います。
社内のディレクター陣の仕事を間近で吸収できる環境も大きく、広告と番組双方の知見を活かした“ハイブリッドなコンテンツづくり”ができるようになってきたと感じています。
「10年遅れのスタート」だからこそ、狭めずに挑戦したい
Q)これから挑戦したい表現やジャンルはありますか?
久我: 今は番組を担当しているので、自分の企画から番組をつくってみたいです。
映像に関しては“他の制作者より10年遅れでスタートした感覚”があるからこそ、狭めずに幅広い挑戦を続けたい、当時イノフェスでそうしていたように、全て「安請け合い」していろんな苦労をしていきたいと思っています。
Q)これからpumpで実現したいことは?
久我: 経歴上、映像の知り合いがまだ少ないです。友人や先輩を見てもサラリーマンが多い。
なので、もっと多様なクリエイターとつながっていきたいです。そして、自分が面白いと思うひと、かっこいい映像を撮ると思う人、音に強いこだわりを持つ人など、いろんな人と出会って行って、自分の幅をもっと広げたいと思っています。


