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STORY

#7 アパレルから映像へ、未経験からの挑戦──小笠原がpumpで切り拓いた「ビジネスプロデューサー」の仕事

アパレル業界から映像業界へ──。

全くの未経験でpumpに飛び込み、今ではビジネスプロデューサーとして数々の案件を手がける小笠原。

「不安よりもワクワクの方が大きかった」というpump入社当時の気持ちから、初めての現場で味わった苦労、そして久石譲『Summer』公式ショートフィルムのプロデュースに至るまで。

ものづくりの裏側を支える“プロデューサー”のリアルを聞きました。

アパレルの現場で任された、最初のキャリア

Q)大学卒業後はアパレル業界で働かれていたとのことですが、業界を選んだ理由と仕事内容を教えてください。

小笠原:ファッションやそれを取り巻く文化が好きで、アパレル業界を選びました。

入社後は店頭での販売研修を経て、本社で販売計画を担当しました。

担当ブランドで「何をどのくらい販売するか」といった売上管理や、次シーズンに販売するものをデザイナーと決める業務です。

本来はベテランが担当する仕事でしたが、私のブランドはグッズ中心だったこともあり、任せてもらえました。

未経験から“ものづくり”の世界へ──pumpとの出会い

Q)映像業界は未経験だったそうですが、もともと映像との接点はありましたか?

小笠原:はい。高校3年までNHK児童劇団に所属していて、12年間子役をしていました。小さい頃から映像をつくる現場には身を置いていたんです。

大学では軽音サークルに所属し、ライブをカメラで撮ってYouTubeにアップしていました。新入生歓迎会の時期にはライブ映像を編集して公開したのですが、評判がよかったのを覚えています。

当時はWindowsのフリーソフトで独学で編集していましたが、将来仕事にするつもりはありませんでした。

Q)そこからどうしてpumpに?

小笠原:コロナ禍の影響が大きかったです。担当していたブランドはインバウンド需要に依存していたため、先行きが不透明になりました。そのタイミングで早期退職制度があり、応募しました。

社会人3年目以下で未経験でも挑戦できる仕事を探し、ものづくりに携わりたいという思いからpumpに入社しました。

Q)「未経験でやっていけるのか」という不安はありませんでしたか?

小笠原:不安はありませんでした。不安というより、新しいことに挑戦できるワクワク感の方が大きかったです。

前職は150名規模の会社でしたが、当時pumpは5名くらい。小規模な会社に行くのが楽しそうだと感じていました。

デスクから現場へ──声をかけてもらった一歩がプロデューサーへの道に

Q)入社後はどんな仕事からスタートしましたか?

小笠原:最初は「デスク職」で、広報(HP更新)や採用がメインでした。入社半年でサイトリニューアルプロジェクトも担当しました。

Q)そこからどうやってプロデューサーになっていったのですか?

小笠原:きっかけは三本菅や小船から「現場に来てみる?」と声をかけてもらったことです。そこから三本菅のMVでPMを担当し、約10本制作しました。業界知識もなく、社外スタッフとの交渉は大変でしたが、三本菅や小船に相談して乗り越えました。

入社1年後には、音楽レーベルでアイドルグループを担当していた友人から、MVを作ってもらえないかと直接声をかけてもらい、受注しました。

(TOKYO GIRLS’ STYLE東京女子流 YouTubeチャンネル)

その経験から「こんなふうに会社にどんどん案件を持っていきたい」と思うようになりました。ディレクションにはあまり魅力を感じていませんでしたが、顧客に必要とされ、社内外で話し合いながら案件を回して作品を生み出していくことに強く興味を持ちました。

Q)結果として、pumpに「ビジネスプロデューサー」という職種ができたのは、小笠原さんの存在があったからなんでしょうか。

小笠原:そうかもしれません。枠組みにとらわれず、ものづくりとビジネスの両面を体現していった結果ですね。

未経験だからこそ全部が新鮮。三本菅・小船に学んだ進行管理と予算の知識

Q)未経験からのスタートで、苦労したことは何でしたか?

小笠原:正直、全部です。PMは出演者やスタッフ全員の動きを把握して、円滑に進行させなければいけません。それぞれの立場や役割を理解するのに時間がかかりました。ただ、ディレクターが三本菅だったので、都度相談することができ、なんとか進められたと思います。

当時は予算管理が特に苦手でしたが、三本菅や小船にイチから教えてもらいました。今では、自分が教える立場になっています。

クライアントに寄り添うことで築いた、唯一無二の存在

Q)今はどんな仕事を担当していますか?

小笠原:営業、予算管理、案件進行、スタッフ手配、企画提案などを担当しています。クライアントとのやりとりから社内クリエイターとの調整まで一貫して行い、案件によっては編集も自分でやっています。ディレクションはしませんが、編集は好きなので続けています。

Q)やりがいを感じる瞬間は?

小笠原クライアントがリピートで依頼してくれる時です。最初はディレクターとセットでプロダクション業務を依頼されることが多かったのですが、今では「小笠原さんにお願いしたい」と言っていただけるようになりました。

自分の柔軟性や、クライアントファーストな姿勢を評価してもらえていると感じます。

Q)逆に大変だと感じる場面は?

小笠原:やはり予算管理です。ディレクターの良いものをつくりたいという要望をできるだけ叶えてあげたいですが、プロデューサーは限られた予算内に収めながらクライアントの要望に応えるのが仕事です。

初期はかなりプレッシャーでしたが、今では「機材はいいものを使う代わりに、ロケ地は予算を抑える」など、案件に応じたお金の使い方のバランスが取れるようになりました。

ディレクターがいいものをつくることに集中できるよう、クライアントの要望を理解して伝えることも自分の役割だと思っています。

プロデューサーとしてすべてを担い実現した、大型プロジェクト

Q)印象に残っている案件はありますか?

小笠原:久石譲さんの『Summer』公式ショートフィルムです。

(Joe Hisaishi Official YouTubeチャンネル)

ムービープロデューサーとして、クライアント対応からプロダクションまで一人で担当しました。テーマが「廃校」だったのですが、実際の廃校は水道や電気などインフラ面が整っていないため使えません。

そこで「生きている学校」を探す必要がありました。さらに「街の人との交流」シーンも撮る条件があったため、ロケ地はかなり限定されました。

関東のフィルムコミッションを総当たりして条件に合う場所を探し、結果的に西伊豆の学校で撮影ができました。かなり不安もありましたが、なんとか形にできた案件で、制作に携わってこられた方、特に西伊豆の方々には本当に感謝しています。

これからの挑戦、そして未来の仲間へのメッセージ

Q)今後挑戦したい領域はありますか?

小笠原:キャラクターIPコンテンツに携わってみたいです。自分でキャラクターを生み出すのは難しいかもしれませんが、映像を通じて関わりたいと思っています。

Q)未経験から成長できた理由は?

小笠原pumpではディレクターとプロデューサーがチームとして案件を回せる環境があります。対等に意見をもらえることで、自分の知識も積み重なりました。

もし社外ディレクターとの仕事だったら、こんなに身近で幅広く教えてもらえることはなかったと思います。これが今の自分を形づくっています。

そしてもうひとつ大きいのは、「自分次第で仕事の領域を広げられる」という文化が会社にあることです。やりたいと手を挙げれば任せてもらえる。挑戦を応援してくれる土壌があったからこそ、未経験からでもここまで成長できたのだと思います。

Q)映像業界に興味があるけれど不安を感じている人に、メッセージをお願いします。

小笠原:最初はわからないことばかりでも「まずはやってみる」気持ちが大事です。わからなければ社内で聞けばいい。演出しかやりたくない、現場だけやりたいという人は社風に合わないと思いますが、何でもやってみたいと思える人には最高の職場です。

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